5W1Hの使い方

基本的な5W1H

人に伝える文章を書いたり話したりするときに、情報をきちんと伝えるための基本的なポイントとされる、”5W1H” について考えてみましょう。

Wikiでは、以下のように書いてあります。

5W1Hは、一番重要なことを先頭にもってくるニュース記事を書くときの慣行である。
ニュース記事の最初の段落はリードと呼ばれる。
ニューススタイルの規則では、リードには以下の「5W」の多くを含むべきとされている。
すなわち、
When(いつ) Where(どこで) Who(誰が) What(何を) Why(なぜ)したのか?
である。
しかし日本においては、「5W」にさらに下記の「1H」を含む「5W1H」であるべきであるとされる。
How(どのように)
Wikipedia 「5W1H」

確かに、会社での報告とかでもこれを大事にしろと教えられます。

ちょっと脱線しますと、上記のWikiの後半に、「5W1Hの始まり」は英国の児童文学者で詩人のラドヤード・キップリング書いた物語の一節
だということも書いてありました。

「象のこども(原題:The Elephant’s Child)」は次のような詩で始まっている。
Just_So_Stories/The_Elephant’s_Child
(原文)
I keep six honest serving-men
(They taught me all I knew);
Their names are What and Why and When And How and Where and Who.

(日本語を解するこども向けの意訳)
私にはうそをつかない正直者のお手伝いさんが6人居るんだよ
(その者達は私の知りたいことを何でも教えてくれるんだよ);
その者達のなまえは「なに? (What) 」さん、「なぜ? (Why) 」さん、「いつ? (When) 」さん、「どこ? (Where) 」さん、「どんなふうに? (How) 」さん、それから「だれ? (Who) 」さんと言うんだよ。
Wikipedia 「5W1H」

あのキップリングが最初に使ったというのはちょっとびっくりですね。

閑話休題

でも、この六個の疑問詞は、等価に捉えるべきなんでしょうか?
色んなことを言っている人たちがいます。

色んな重みづけ

「桑原 晃弥」という方が「トヨタ式5W1H思考」という本で、トヨタ式のやり方というものを紹介しています、

トヨタにとって問題は「あって当然」で、「問題がない」というのはほとんどの場合、「問題が見えていない」か「隠している」ことを意味します。
だからトヨタでは、独自の「5W1H」すなわち「WHY、WHY、WHY、WHY、WHY+HOW」で問題に食らいつき、真因を見つけ出すことで、確かな解決策を打つのです。「トヨタ式5W1H思考」のKADOKAWAのサイト

こんな考え方を、働き方改革に使った例もあるようです。
私が別記事に書いた「制約理論」に基づき、働き方を制約するものを導き出すために、「何で」を繰り返し使った「マツダでの使い方」のような例もあるようです。
ここでは、「生産性を制約するもの」を見つけ出すために、何度も「なんで?」を繰り返して、「ボーリングの1番ピン」を見つけ出すわけです。

この考え方は、研究や開発にもダイレクトに応用できる気がします。

バリエーション

結局、「何で?」という疑問をうまく使いこなすことが一番大事なのかもしれません。

で、戯言として、以下のようなものを考えてみました。
「W.H.Y.」
W: Why なんで?
H: ホントに?
Y: やってみる(試してみる)

こんなぐらいが、研究とかには大事なのかもしれません。

ザ・ゴール(制約条件を見つけて全体を最適化)

ちょっと思い出しましたので、かつて会社で購入して10年ぐらい前に読んだこの本を再読しました。
アマゾンでのページ

簡単にまとめれば、「全体を最適化するためには、制約条件になっているものを漏れなくリストアップして、その原因と寄与の度合いをキチンと考えることが重要である。」という感じになります。
大事な点は、「部分に注目してしまうと、逆に、全体のスループットは悪化する」ということだと思います。

制約条件をきちんと取り扱う(制約条件の理論 T.O.C.: Theory of Constraints)ことは、製造現場に限らずに、科学的な考え方全般に適応できる大事な考え方だろうなと思います。

なお、日本を舞台に焼きなおしたコミック版(amazon)もあるようですので、こちらも役に立つかもしれません。

科学的アプローチ

科学的なやり方

前の投稿に引き続き、再度、クラーク氏の言葉を使って「科学的なやり方」ということを考えてみたいと思います。

  1. 「高名で年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている。」
  2. 「可能性の限界を測る唯一の方法は、不可能であるとされることまでやってみることである。」
  3. 「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。」

Wikipedia 「クラークの三法則」

開発における挑戦

開発的な意味では、不可能に挑戦するということはとても大事なことだと思います。ちょっと言葉を強く使うと、「盲蛇に怖じず」のようなアプローチなのかもしれません。(私は故事成語をPCという理由で使わないのは嫌いなので、気にせずに使います、)

第一と第二の警句にあるように、「知っているとおごり高ぶって勝手な判断をすること」は明らかにダメで、「不可能(のように見えること)に挑戦すること」こそが大事なことは明らかですね。
でも、確かめもしないで「明らかに無理と分かり切っている方法」で挑戦し続けることはやっぱり徒労にしか終わらないでしょうし、毒蛇にかまれて死んでしまうかもしれません。
その境目は、どのあたりにあるのでしょうか?

多様な分野に通じるということ

やはり、きちんと、現時点の科学の最先端を形成する礎となっているような基礎的な事項を幅広く理解していることが、大事なのではないでしょうか。
そのような基礎的な事項を、きちんと自分の腑に落ちるような表現で身に付け、「人口に膾炙されるような」かみ砕いた表現ができるようにすることこそが、「まるで魔法にしか見えないような科学技術」を使いこなすために必要とされるのではないでしょうか。

わかりやすく話す

わたしは、論理的に話そうとするとつい長くなってしまう時が多いようです。
つまり、三段論法どころではなく、五段、八段と、将棋や碁の高段者のような段数を重ねてしまう。

振り返ってみると、話している途中に「挿入句」どころではない「挿入節」を入れてしまって、新たな支流を作っているかも。
英語的には、”…, where something …”ってな感じで、something以降が長すぎる。

で、そっちの流れの分も落ちをつけようとするから、聞いている人には本筋が伝わらない。
書いているときには、書き直し(推敲)しているので、枝葉は分岐だとわかるように書けるんですが。
話しているとそうはいかない。

話すときにこそ、”K.I.S.S.”ですね。

反省。

「考えをまとめて、人に伝える」

表題に示した文章を、上記メニューの「色々な考え方」の下に、追加しました。

これは、以前に、会社の若い人たちへの教育用に作ったものを、彼らの意見も取り入れながら何度も書き直したものです。

結構同じようなことを繰り返したちょっと長めの文章になっていますが、ご自身のことを振り返りながらゆっくり読んでいただければ、いいかなと思います。