科学的なやり方
前の投稿に引き続き、再度、クラーク氏の言葉を使って「科学的なやり方」ということを考えてみたいと思います。
- 「高名で年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている。」
- 「可能性の限界を測る唯一の方法は、不可能であるとされることまでやってみることである。」
- 「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。」
開発における挑戦
開発的な意味では、不可能に挑戦するということはとても大事なことだと思います。ちょっと言葉を強く使うと、「盲蛇に怖じず」のようなアプローチなのかもしれません。(私は故事成語をPCという理由で使わないのは嫌いなので、気にせずに使います、)
第一と第二の警句にあるように、「知っているとおごり高ぶって勝手な判断をすること」は明らかにダメで、「不可能(のように見えること)に挑戦すること」こそが大事なことは明らかですね。
でも、確かめもしないで「明らかに無理と分かり切っている方法」で挑戦し続けることはやっぱり徒労にしか終わらないでしょうし、毒蛇にかまれて死んでしまうかもしれません。
その境目は、どのあたりにあるのでしょうか?
多様な分野に通じるということ
やはり、きちんと、現時点の科学の最先端を形成する礎となっているような基礎的な事項を幅広く理解していることが、大事なのではないでしょうか。
そのような基礎的な事項を、きちんと自分の腑に落ちるような表現で身に付け、「人口に膾炙されるような」かみ砕いた表現ができるようにすることこそが、「まるで魔法にしか見えないような科学技術」を使いこなすために必要とされるのではないでしょうか。